フランソア喫茶室

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京都の街中に、西洋で見かけるようなたたずまいの喫茶店があります。
1934(昭和9)年に立野正一が創業した『フランソア喫茶室』です。

立野正一

『フランソア喫茶室』は、京都に住んでいるならたいていの人が知っている、かなり有名な喫茶店です。
1941(昭和16)年に北隣の木造二階建ての民家を購入し、現在に残る姿に改築しました。
もともとは、明治から大正時代に建てられた京都の伝統的な町屋だったそうです。

今回はこの喫茶店について掘り下げていきます。

ちなみに店名はフランスの画家、ジャン=フランソワ・ミレーにちなんでいます。

ジャン=フランソワ・ミレー

ミレー『落穂拾い』

立野正一は、山口県伊佐村(現在の山口美祢市伊佐町)の楮(こうぞ)卸の商家に生まれました。
楮とは樹木の一種で、繊維が取れ、紙を作る材料として使われていました。

楮(こうぞ)

1915(大正4)年に京都に移り、京都市立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)に入学します。
フランソワ・ミレー、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画や、志賀直哉、武者小路実篤などの自然主義文学の影響を受けました。

ゴッホ(『灰色のフェルト棒の自画像』より)

ゴッホのひまわり

同校在学中の1924(大正13)年、同じ敷地内にある市立絵画専門学校で、教育管理強化に反発する争議(絵専騒動)に出遭います。
これが、後に立野が社会主義活動に向かう一つの動機となりました。

美術工芸学校卒業後は、陶磁器の絵付けに携わります。
1929(昭和4年)3月、美術館見学で東京に滞在中、山本宣治の暗殺事件に遭遇し、これをきっかけに労働運動に身を投じました。

当初、河上肇の身辺警護を務めましたが、1930(昭和5年)から京都市北部で洛北友仙工争議が活発化すると、朝鮮人・中国人労働者、被差別部落住民とともに争議現場を指揮しました。

河上肇

洛北友仙工争議は戦前京都地方労働運動の絶頂であり、これをきっかけに新労農党系の京都労働組合総評議会が結成されます。
しかし間もなく、労働組織の分裂、警察による弾圧、河上肇の逮捕などにより、運動は衰退しました。

立野は1934(昭和9)年9月、立野を含む労働運動家の自活と、社会主義啓発を目的として、「フランソア喫茶室」を創業しました。
つまりフランソア喫茶室は、もともとは労働運動家が集まり話し合いをするために開業したということです。

1936(昭和11)年から1937(昭和12)年まで、中井正一や斉藤雷太郎らが編集・発行した反ファシズム新聞「土曜日」の頒布を支援しました。
ちなみにこの雑誌は、反骨精神の塊として、ある層からは「伝説の雑誌」と呼ばれるそうです。

これと並行して、当時壊滅状態にあった日本共産党の再建をはかりますが、不調に終わりました。

中井正一

1937(昭和12)年7月14日、立野は日中戦争にともなう言論弾圧強化を背景に治安維持法により逮捕され、山科刑務所に投獄されます。
そして1939(昭和14)年1月に出所しました。

立野が収監されている間、ウェイトレスの一人で、後に立野の妻となる佐藤留志子が店の経営を支えました。

佐藤留志子

1941(昭和16)年、友人である京大留学生アレッサンドロ・ベンチヴェンニや画家の高木四郎の協力を得て、フランソア喫茶室をイタリアン・バロック風に改装しました。
ここで初めて今の姿になったということです。

太平洋戦争も末期になると、店名を「純喫茶・都茶房」と変えざるを得なくなります。
コーヒーも出せなくなりますが、番茶や干しバナナを提供しながら、幸運にも戦火をくぐりぬけたそうです。

そしてフランソア喫茶室は、61年後の2002(平成14)年に、国の登録有形文化財に登録されました。

戦後、立野は日本共産党の再建、日本中国文化交流協会、日ソ協会(現在の日本ユーラシア協会)の設立・運営に尽力しました。
しかし、1966(昭和41)年、党内路線対立により日本共産党を離党ました。
そしてその後時代は流れ、1995(平成7年)に亡くなりました。

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上述したように、『フランソア喫茶室』は1941(昭和16)年、京大留学生アレッサンドロ・ベンチヴェンニや画家・高木四郎の協力を得て、イタリアン・バロック風に改装されました。
施工は、当時の日本の大工(日銀の内装を手がけた大工)や、家具の装飾を手がける指物師が行ったそうです。

木造2階建、瓦葺、建築面積40平米です。

外観1

外観2

尖塔アーチ窓やバルコニーが彩るモダンな外観です。
今でこそ、京都にはモダンな建物が多いですが、当時の京都では基本的には町屋建築が一般的でした。
近くには寺院や寺が多く、古き良きといった雰囲気だったのです。
つまり、外観的にもかなり存在感があったと推測できます。

室内は豪華客船のキャビンをイメージした装飾が施されています。
当時、まだまだ気軽に聴くことのできなかったクラシック音楽を流す店として、芸術・音楽好きの文化人や学生が集う店となりました。

内観1

内観2

内観3

壁や窓は、色鮮やかなステンドグラスで飾られています。
ステンドグラスのデザインは高木四郎によるものです。

ステンドグラス

ステンドグラス(建物外より)

最大の特徴は白いドームの天井です。

天井

柱は中央に膨らみのあるルネサンス調のエンタシスで、その上部や店内の調度品に至るまで、華やかな彫刻が施されています。
ヨーロッパの古いランプや赤いビロードの椅子などがあり、これらは開店当初から変わっていません。

壁にかけられた「モナ・リザ」の複製なども、お店の雰囲気にマッチしていて味があります。

モナリザ

戦後、新藤兼人と乙羽信子がデートの場としていたエピソードなどが残されています。
乙羽信子が自身の生涯を語る「どろんこ半生記」を原作に制作された「女優時代」や「三文役者」の実際の舞台として、ロケ地にもなりました。

また、「家族物語」瀬戸内晴美/著や「鱗姫」嶽本野ばら/著、「袂のなかで」今江祥智/著、「終わりからの旅」辻井喬/著にも登場します。
吉村公三郎や宇野重吉、鶴見俊輔らも通うなど、数多くの文化人や学生、青年たちが集いました。

現在も当時の面影のまま営業を続けています。

家族物語

フランソア喫茶室は、2003(平成15)年1月31日付けで、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
日本で喫茶店が登録有形文化財に登録されたのは、同店が初めてです。

昭和初期という時代に、和と洋を組み合わせた革新性、その後も改装されることなく、内部の調度品や装飾を含めて建物が当時のままの姿で残っている点が高く評価されました。

京都で観光した後に、この喫茶室でコーヒーを飲むのも良いのではないでしょうか?

ちなみにですが、京都人は実はあまりおばんざいとか食べません。
おばんざい屋さんは観光客のためのもので、京都人はむしろ洋食屋さんなどを好みます。
京都に洋食屋さんがとても多いのはこれが理由です。

同じように、フランソア喫茶室が未だに続いているのも、地元の方に愛されているからなのでしょう。

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