雲の上のギャラリー
高知県の四国カルストの麓に「雲の上の町」と呼ばれる場所があります。
雲の上の町「梼原(ゆすはら)」。
この場所には、とても幻想的な建物がいくつもあります。
四国カルスト
梼原町
今回はその中でも『雲の上のギャラリー』を中心に、他の建物も一緒に紹介していきます。
というのも、これらの建築は全てある1人の人物によって設計されており、全て回って観たほうが、より充実感が高いためです。
雲の上のギャラリー
さて、『雲の上のギャラリー』ですが、こちらは2010(平成22)年にオープンした真新しい建物となっております。
そもそも、これら一連の建物が造られることになったのは、町おこしのためです。
梼原産の木材で町おこしをするため、その象徴としていくつもの建物を建築していきました。
雲の上のギャラリーの着想は、森のような建築物を作り、梼原の森の中に溶け込ませたいという思いから始まりました。
目指したのは、枝葉が広がり、木漏れ日のような光と影を作り出す建物です。
日本建築の軒を支える「斗栱(ときょう)」という伝統的な木材表現をモチーフとして、刎木(はねぎ)を何本も重ねながら、桁を乗せていく「やじろべえ型刎橋(はねばし)」は、世界でも類を見ない架構形式による唯一の建物として神々しさすら感じられます。
斗栱の例
また、梼原産の杉を繰り返し組み上げていくことで、周囲の大自然と調和しながら「梼原の象徴」としての迫力ある存在感も表現しています。
このデザインは、まさに木材の限りない可能性を見出し、梼原町産材の振興を進めていく大きな自信となっていったのです。
梼原町善福寺の千年杉
そして、この建物は、ギャラリーとしての役割だけでなく、他の建物にとって非常に重要な役割もあわせ持ちます。
この建物、実は、「雲の上のホテル」という、同じ設計者の建てたホテルと、温泉をつなぐための渡り廊下としても活用されています。
もちろん、ホテルに泊まらなくてもギャラリーには入れます。
でも泊まったほうが良いです・・・だってホテルも素晴らしいのですから!
雲の上のホテル
この建物の設計者は隈 研吾(くま けんご)氏です。
聞き覚えがある方も多いのではないでしょうか?
隈 研吾氏
そう、東京オリンピックのために建てられた「新国立競技場」の設計者です。
隈氏の設計は基本的に斬新なものが多く、またその場所の伝統などを取り入れるスタイルが多いです。
雲の上のギャラリーにしてもそうです。
新国立競技場
隈 研吾氏は、神奈川県横浜市大倉山出身です。
三菱金属鉱業(現・三菱マテリアル)のサラリーマンであった父親(長崎県大村市出身で東京・日本橋育ち)が45歳の時の息子で、医院を営んでいた母方の祖父が建てた大倉山駅近くの古い家で育ちました。
隈氏は猫好きで、そのために獣医を志していましたが、家屋の修繕をするデザイン好きの父親に付き合ううちに、建築に興味を持つようになりました。
大田区立田園調布小学校に通っている時、1964(昭和39)年の開催を控えた東京オリンピックの建築物を目にし、いよいよ本気で建築家を志すこととなりました。
この人物は、前回の東京オリンピックの建築物がきっかけで建築家を目指し、2020年に開催される予定だった(2021年開催できるといいですね)東京オリンピックの最も重要な建物の設計を任されるという、まさに夢を実現させた建築家なのです。
栄光学園高校では、189センチメートルの長身を生かして、バスケットボール部でセンターを守っていました。
東京大学工学部建築学科を卒業後、東京大学大学院建築意匠専攻修士課程を1979(昭和54)年に修了。
在学中は、芦原義信、槇文彦、内田祥哉、原広司らに師事しました。
同級生には、小林克弘(首都大学東京教授)や大江匡(建築家)、村田誉之(大成建設)がいました。
大学院で修士論文を書いていた時期に、同級生の多くは当時話題の新鋭・安藤忠雄に憧れていました。
しかし、隈はその逆を行くことを選択し、アトリエ系事務所ではなく社会に揉まれるためにと、大手設計事務所の日本設計に就職しました。
その後、戸田建設、米国コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員を経て、1990(平成2)年に隈研吾建築都市設計事務所を設立しています。
それから、法政大学工学部建設工学科非常勤講師、早稲田バウハウス・スクール講師、慶應義塾大学理工学部客員教授などを経て、2009(平成21)年4月より、東京大学工学部建築学科教授に就任ました。
その前年の2008(平成20)年には、フランスの首都パリに Kuma & Associates Europe を設立しています。
2018(平成30)年、高知県立林業大学校 校長に就任し、2020(令和2)年4月には東京大学特別教授になりました。
建築家として初期のころは、ドーリック南青山ビルやM2ビルなど、ポストモダニズムに一部脱構築主義要素を加えた建物を発表していました。
しかし、今回ご紹介している、高知県高岡郡檮原町の「ゆすはら座」存続への関わりをきっかけとして、木材などの自然素材を生かした建築や、縦格子を多用したデザインが特徴的な作品を多く手がけるようになりました。
ドーリック南青山ビル
M2ビル
木材を多用するようになったのは、阪神大震災(1995(平成7)年)と東日本大震災(2011(平成23)年)を見て、「コンクリートなどの人工物で自然に立ち向かおうとする20世紀の思想が破綻したと感じたため」であると回顧しています。
森林を手入れして生み出す木材は、人間と地球をつなぎ合わせる存在と位置付けてもいます。
また大型の公共建築物が「税金の無駄遣い」「環境破壊」と批判されるようになった時代に育った隈氏は、経済成長の鈍化と高齢化が進んでいる日本の現状を見据え、周囲に調和した「負ける建築」や、「コンクリートと鉄の時代」を「木の時代」に変えることを強く目指しています。
近年は活躍の場を海外にも広げ、国際コンペでの受賞も着実に増やしており、世界的に注目される日本人建築家の一人として認識されつつあります。
また、設計のほか、ホテルやマンションの監修、室内演出や家具、食器、スニーカーなどのデザインも手掛けており、非常に多彩な才能を持っています。
隈氏とアシックスのコラボスニーカー
2010年代には、自らのデザインポイントの一つとして、ストラクチャーを際立たせ過ぎないための「粒感」を挙げています。
2005(平成17)年の日本国際博覧会(愛知万博)では、会場計画プロジェクトチームに所属して会場とパビリオンの設計に携わっていましたが、自然保護団体の反対で度々計画が縮小したため、辞任しました。
日本に近い国々で言えば、中華人民共和国北京市郊外のグレート(バンブー)ウォールは、2008(平成20)年北京オリンピックのCMにも使われています。
また韓国では、知韓派の建築家として活動しています。
2018(平成30)年には、約30年間の活動を紹介する個展「くまのもの」を、東京駅構内の東京ステーションギャラリーで開催しました。
ここでは、これまで使ってきた10種類の素材(竹、木、紙、土、石、金属、ガラス、瓦、樹脂、膜・繊維)ごとに、合計75件のプロジェクトの模型・資料などが展示されました。
現在は早稲田大学特命教授であり、兼ねてより親交の深い村上春樹の要請により、2021(令和3)年4月オープン予定の早稲田大学国際文学館、通称「村上春樹ライブラリー」の設計を担当することも決定しています。
改めて見て、この人物の建築技術と多方面への知識が非常に優れたものだということがわかります。
さて、『雲の上のギャラリー』ですが、先に建てられたのは「雲の上のホテル」の方です。
まぁ、当たり前ですね。
雲の上のホテルは、1994(平成6)年に建てられました。
それから16年後に、渡り廊下兼ギャラリーとして造られたのが、雲の上のギャラリーです。
まずはホテル側からでも温泉側からでもいいので、エレベーターに乗ります。
エレベーターで上階に行くと、そこが渡り廊下になっています。
そして突き当りには、隈氏の当時の設計書類などが展示されています。
建物好きにはたまらないものでしょう。
内部も、やはりすごい数の木材が、組木状に張り巡らされています。
しかし側面は全面ガラス張りで、梼原の大自然が一望できます。
雲の上のホテルに泊まって、雲の上のギャラリーを通って、雲の上の温泉に入る・・・、贅沢極まりないですね。
外観1
雲の上のギャラリー 外観2
雲の上のギャラリー 内観1
雲の上のギャラリー 内観2
雲の上のギャラリー 展示物
雲の上のホテルは、「雲の上のまち」をテーマとし、梼原町太郎川公園の景観を活かしながら、梼原町産の杉を大胆につかった木造建築です。
サーフボード型の屋根は雲をイメージし、建物の下には青空と星を映しこむ棚田をイメージした半円形の池を設置しました。
また、四季折々の梼原の風景を楽しむことができるようガラス壁面を多用し、レストランの2階室は飛行船のゴンドラを思わせる空間がデザインされています。
ホテル外観
さて、梼原には他にも隈研吾氏設計の建物があります。
まずは、つい最近の2020(令和2)年6月にオープンした「雲の上の小さなミュージアム」。
こちらは、雲の上のギャラリーの一角にあります。
館内には、梼原町にある隈氏設計の建築物6施設の解説パネルや、「地獄組」という木材片を組み上げる組子の手法の1つで、構造物の強度を高められるという特徴がある木組みの模型、「雲の上のギャラリー」の全体模型、隈氏のインタビュー映像が展示されています。
雲の上の小さなミュージアム
次に、「梼原町総合庁舎」です。
梼原町総合庁舎は、「防災の拠点機能」、「住民の利便性」、「環境と梼原産材の利用」を熟思して、2006(平成18)年に誕生しました。
四万十川源流の豊かな自然環境に育まれた梼原産の杉材をふんだんに使用し、館内全域に温かい木のぬくもりが漂っています。
1階ホールには、梼原町伝統の茶堂が設えられ、旅人をお出迎えします。
町の歴史と風土の資材が融合した建物は、町民はもちろん、町外のお客様にも親しみを感じてもらえる建物として愛されています。
梼原に旅行に行ったら、まずはここにきて、いろいろ教えてもらいましょう。
梼原町総合庁舎
次は、「梼原町立図書館(雲の上の図書館)」です。
梼原町がめざす「人と自然が共生し輝く梼原構想」の中核施設として、 2017(平成29)年に建築された図書館です。
建築には梼原産の木材を活用しており、千百年余の梼原独自の文化を保存・継承し情報の発信基地となることを目指しています。
館内にはボルダリング設備やカフェを併設し、知の拠点として学びの場であるとともに、様々な方々との世代間交流ができる憩いの場、ゆったりと語り合える空間を演出しています。
主観ですが、おそらくここが日本一オシャレな図書館です。
梼原町立図書館(雲の上の図書館) 外観
梼原町立図書館(雲の上の図書館) 内観
そして、隈氏は介護施設も手掛けています。
それが「YURURIゆすはら」です。
住民の願いである「住み慣れた地域で安心して暮らし続けたい」という思いを実現するため、在宅生活を支援しながら在宅と特別養護老人ホームの中間的な役割を果たすとともに、健康づくりや介護予防の機能も持った複合的な福祉施設です。
建物の外壁には梼原産の杉板を纏わせ、内装には町内製作の手漉き和紙をはじめとした自然素材を活用し、精原の自然と呼応する町民に開かれた「まちの家」をつくりました。
さすがに旅行で訪れていると中には入りにくいですが、庁舎の人にお願いしたら、もしかしたら見学できるかもしれませんね。
YURURIゆすはら
最後に紹介するのは、「まちの駅ゆすはら」。
梼原町の特産物販売とホテルが融合したまちの駅「ゆすはら」は、梼原町の顔として、多くの旅人をお出迎えしてくれます。
施設東側外壁に用いられている茅(かや)は、隈氏が、町内の伝統的な茅葺屋根に学ばれ設計されました。
茅のファサードは特徴的な景観を生み出すだけでなく、通気性・断熱性に優れるため、自然の力によって快適な室内環境を創っています。
また、まちの中の「森」というコンセプトを映すように、施設内には杉丸太の柱を林立させ、森の中を巡るような内部空間を作り出しています。
一方で、客室は、時間を忘れゆったりと過ごすことができるように細部まで計算された瀟洒な設えになっています。
まちの駅ゆすはら外観
まちの駅ゆすはら内観
このように、町全体に隈氏の建物があり、旅行で訪れる人がいたり、メディアで取り上げられたりと、梼原は有名になりつつあります。
建築物をその町の特産品で造り、町おこしを行った最高の事例の1つと言えるでしょう。
今はコロナの影響で遠出するのが敬遠されがちですが、収まったころに、高知県梼原町を訪れてみるのも悪くないのではないでしょうか?
特に都会でステイホームしている方々は、梼原の大自然に癒されにいくのはすごく良いと思いますよ!