軽井沢聖パウロカトリック教会

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日本有数の保養地である長野県北佐久郡軽井沢町に、素朴なカトリック教会があります。
名称は『軽井沢聖パウロカトリック教会』です。

この教会は、現代の日本では一般的となった「キリスト教式結婚式」を初めて日本で行い、普及させていった場所でもあります。

現在では多くの人々が教会で結婚式を挙げますが、それを始めたのが、この軽井沢聖パウロカトリック教会です。
この教会が普及させていなければ、いまだに日本では神前式が一般的だったかもしれません。

キリスト教式結婚式

神前式

『軽井沢聖パウロカトリック教会』は1935(昭和10)年に英国人のレオ・ウォード神父により設立されました。
設計は、米国建築学会賞を受賞したアントニン・レーモンドが担当しました。
軽井沢の歴史的建造物の一つであり、聖パウロカトリック教会とも呼ばれます。
管轄するカトリック横浜司教区における呼称は、「カトリック軽井沢教会」です。

アントニン・レーモンド

堀辰雄による1940(昭和15)年初出の随筆「木の十字架」では、この教会がフィーチャーされています。

その中で、
「簡素な木造の、何処か瑞西の寒村にでもありそうな、朴訥な美しさに富んだ、何ともいえず好い感じのする建物である」
「私は屡々、その頃愛読していたモオリアックの『焔の流れ』という小説の結末に出てくるそのかわいそうな女主人公の住んでいる、フランスの或る静かな村の古い教会のことなぞを胸に泛べたりしていた」
「聖パウロ教会で結婚すると多くの人たちから祝福される」
という言葉を残しています。

また「木の十字架」には、1939(昭和14)年9月1日にナチス=ドイツによるポーランド侵攻が始まった翌日に、この教会でポーランド人の少女が故国を想い礼拝している横顔を見て、ドビュッシーの歌曲「もう家のない子供たちのクリスマス」を胸に浮かばせた、という描写もあります。

堀辰雄

堀辰雄はさらに、ジブリで映画化もされた「風立ちぬ」にも、この教会を登場させています。
その他多くの文豪たちがこの教会を著書の中に登場させたことも知られていて、この建物が愛されていたことがわかります。

風立ちぬ

ウォード神父は、1933(昭和8)年2月に来日しました。
同年に軽井沢に仕事場兼別荘を完成させていたレーモンドに誘われ、初めて軽井沢を訪問したウォード神父は、軽井沢ホテルのラウンジでミサをあげます。
ミサには軽井沢に滞在していた外交官やビジネスマン、テニス選手等が参加しました。

初めての主日は8名でしたが、次の主日は30名、その次は40名、そして最後は68名の参加があったことに驚き、夏の間のみ開かれる小聖堂を建てることを決意しました。
その間、ウォード神父は軽井沢ホテルに滞在し、日光東照宮を建てた宮大工を呼んで約6ヶ月をかけて聖堂を完成させました。

のちに家具デザイナーとなるジョージ・ナカシマが、設計と家具造りに参加しました。
その費用のほとんどを、ウォード神父が負担したそうです。
その話を受けた軽井沢ホテルは、ウォード神父のホテル代を請求しなかったそうです。

この教会を建築したアントニン・レーモンドは、チェコ出身の建築家です。
フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日しました。
その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残しています。
日本人建築家に大きな影響を与えた人物です。

フランク・ロイド・ライト

1922(大正11)年にライトから独立し、レーモンド事務所を開設しました。
当初はライトの影響が余りに強烈であったため、そこから抜け出すのに苦労したといいます。

オーギュスト・ペレの弟子であるベドジフ・フォイエルシュタインと、聖路加国際病院などの設計を共同で行ったほか、ペレの代表作であるル・ランシーの教会堂をコピーした東京女子大学礼拝堂を建設しました。
ペレを介してライトの影響から逃れ、モダニズム建築の最先端の作品を生み出すようになりました。

その頃の作品に、イタリア大使館中禅寺保養所(旧イタリア大使館別荘)があります。
壁に市松調模様や独特の平面プランニング、日本家屋と欧米生活様式の融合を図ったディテールなどは、ライト建築との決別を意味する新境地となりました。

イタリア大使館中禅寺保養所

後に、日本を取り巻く国際情勢が緊迫悪化したため、アメリカのペンシルベニア州ニューホープに土地を購入し、農家に増改築を施した事務所を構え、当地で10年ほど設計活動に従事しました。

第二次世界大戦の際、アメリカ軍は焼夷弾の効果を検証する実験のため、ユタ州の砂漠に、東京下町の木造家屋の続く街並みを再現しました。
この際、日本家屋の設計をしたのはレーモンドでした。
この実験は東京大空襲などで利用されました。

自伝には、日本への愛情と戦争の早期終結への願いという矛盾に対する苦渋の心境が綴られています。

第二次世界大戦後の1947(昭和22)年、レーモンドはダム建設予定地の調査のため再度来日します。
パシフィックコンサルタンツを共同設立するほか、リーダーズダイジェスト東京支社の設計に際して、新たに建築設計事務所を開設します。
日本住宅公団のアドバイザーを務めるなど、戦後の日本にモダニズムの理念に基づく作品を多く残しました。
事務所では、小規模木造住宅の設計で新境地を開いた増沢洵や津端修一などが学び、名前を冠した「レーモンド設計事務所」は、今も存続しています。

次に、教会の家具を製作したジョージ・ナカシマについてです。
日本名は中島 勝寿といいます。

ジョージ・ナカシマ

アメリカの家具デザイナー兼建築家として活躍した人物です。
彼は1905(明治38)年、ジャーナリスト中島勝治と寿々の長男として、ワシントン州スポケーンに生まれました。
ワシントン大学に入学し、林学専攻後、建築学に転向します。

1929(昭和4)年にワシントン大学卒業後、ハーバード大学大学院に進み、すぐマサチューセッツ工科大学(MIT)に移籍しました。
その後、世界一周の旅に出てロンドン・パリに滞在し、ル・コルビュジエのスイス館の建築現場に通いました。

1934(昭和9)年にパリを発ち、インド・中国経由で日本に向かいます。
帝国ホテル建設の際にフランク・ロイド・ライトに伴って来日し、アントニン・レーモンド建築事務所に入所します。
同僚には、前川國男や吉村順三がいました。

そして、今回の軽井沢聖パウロカトリック教会の設計と家具の設計に参加することになりました。
その後も、日本と海外を行ったり来たりしながら、様々な功績を残していきました。

2008(平成20)年には、香川県に「ジョージナカシマ記念館」が開設されました。

ジョージナカシマ記念館

さて、冒頭でも述べた通り、軽井沢聖パウロカトリック教会は、現代におけるキリスト教式結婚式が普及するきっかけとなった教会です。
聖パウロカトリック教会は、キリスト教と日本人の薄れた絆を復活させるために、開かれたキリスト教の実践を試み続けました。
そしてその一環として、非信者のウェディング挙式という道を開いたのです。

カトリックの紹介を目的として、1960年代から一般に教会を開放し、その結果、有名人の挙式が相次ぎました。

なかでも1972(昭和47)年、西郷輝彦と辺見マリが軽井沢の聖パウロカトリック教会で結婚式を挙げ、この結婚式の模様がテレビ中継によって全国で放送されました。
そして軽井沢での結婚式がクローズアップされることとなりました。

西郷輝彦と辺見マリ

これを皮切りに、各地の教会で、宗派を問わずクリスチャンでなくても「結婚講座」を受けることで挙式が可能になり、国内で爆発的に広まっていきました。

現在ではごく普通の一般的な結婚式模様ですが、実はこの教会が1960年代に初めて行ったことなのです。
この時普及されていなければ、日本ではいまだに神前式しか行われなかったかもしれません。

旧軽井沢銀座通りと並行して走る「水車の道」。
ここに聖パウロカトリック教会が建っています。
水車の道は、かつてそば粉や小麦粉を挽くための水車があったことから名づけられました。

水車の道

大通りの一本裏手ということもあり、旧軽井沢の喧騒から離れた場所に、教会は佇んでいます。

外観はコンクリート打ち放しの躯体の上に、木造の三角屋根が載っています。
屋根の上の十字架とマリア像は、素朴なデザインですが、スロバキア地方の伝統なデザインを取り入れているそうです。

外観

十字架とマリア像

扉を開け内部へと入ると、正面に祭壇が見えます。
祭壇のバックには、丸形や三角形の和紙が張られたガラス窓が配置されています。
教会といえば、普通は色とりどりのステンドガラスを設けるところですが、様々な形にカットした和紙を貼ったガラスを設けることで、日本的な印象が醸し出されています。

内観1

内観2

天井には手斧で仕上げた丸太組みの屋根構造部材が、そのまま出ています。
力強く荒々しい空間で、その力強さは、丸太材や打ち放しコンクリート、素焼きレンガなど、使用する素材を加工しすぎず、そのままの状態で使うことから表れています。
この教会は、繊細さというよりは、素朴さや力強さを表した設計になっているといえます。

天井

丸太のような素材感の強い材料は、一歩使い方を間違えれば、ログハウスのような素朴すぎる表現にとどまってしまう可能性が高いです。
しかし、丸太組みの天井、丸太の柱、丸太組みのベンチ、と丸太材を多用しているにも関わらず、モダンさを保っているレーモンドのバランス感覚は、非常に優れているといえます。

屋根を支えるトラスは、荷重が素直に流れていくような、すっきりとした構成です。
この丸太を使った小屋組みはレーモンド設計の他の住宅や事務所でも見られますが、まだ物のない時代に、最小限の材料で作ろうと考案された架構だそうです。

構造がそのまま内部の意匠にもなっています。
小さな教会ながら、パイプオルガンや懺悔室も備えてあります。

パイプオルガン

聖パウロカトリック教会は、現在も教会として利用されていて、結婚式も行われています。
挙式や礼拝などが行われていなければ見学等は自由なので、訪れてみるのもいいかもしれません。

ただし、いわゆる結婚式用教会ではなく、本物の教会なので、少しばかり注意点等あります。
来訪の際は、そのあたりにお気を付けください。

 

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