旧青山別邸

鰊(ニシン)という魚を食べたことはありますか?
ニシンは知らなくとも、お正月に付き物の、金色の「数の子」(ニシンの卵)はご存知ではないでしょうか。
明治から大正にかけて、ニシン漁の全盛時代が訪れました。
小樽の初期経済はニシン漁によって基盤が築かれた、といえるほど重要な産業でした。

ニシン

明治から大正にかけて、ニシンの群来(くき)とともに、北海道西岸(日本海側)の海岸の前浜一帯の海は銀色に輝きました。
無数のカモメが飛び交い、漁師達は先を競って舟を漕ぎ出し、浜は水揚げで活気に満ち溢れていました。
小樽周辺には忍路(オショロ)、高島などの好漁場があり、漁師達は繁栄を極めていました。
春先の2~3ヵ月の漁は「一起し千両」といわれ、そのニシン漁だけで1年間の生活ができたということです。

ちなみにですが、このようにニシン漁が小樽経済の基盤を築き、やがて「北のウォール街」と呼ばれるほど、多くの都市銀行や商社が軒を連ね、小樽の穀物相場がロンドンの相場に影響を与えるほどの力を持つようになったのは、結構有名な話です。
しかし、その背景にニシン漁があったことは、地元以外の方だとあまり知らないのではないでしょうか。

ニシン漁

ニシン漁は、単独で釣る魚釣りではなく、多くの人が協力して行う漁法が一般的です。
つまり、ニシン漁を行うグループがいくつもあり、そのグループ単位の頭領は、現代風にいえば「社長」ということになります。
そして、ニシンが売れに売れた当時、その頭領たちは、自分たちの繁栄を互いに誇張するために自宅(のようなもの)を次々に建てていきました。
隆盛を極めたニシン漁で財を成した網元達が、競って造った木造建築物、これこそが「鰊御殿」なのです。

「鰊御殿」の定義は未だ確定されておらず、明治期から大正12年頃までにかけて建築された網元の家屋程度の目安で紹介されています。
様式は、古くは平屋形式であり、屋根は瓦葺きです。
かつては、上座敷には違い棚、床柱には黒檀を使用していることが条件のように言われていました。
しかし、その定義に合致するものはごく少数であり、現在はほとんどの建築物が解体されています。

また、望楼(ぼうろう)を供えたものが多いですが、必ず望楼を備えているとも断言できません。

小樽市鰊御殿

「御殿」と称されたのは、内部に本州から移入された檜や木目の美しいケヤキ・タモ材などを使用し、廊下等には生漆を施し、欄間を備えた建築物であることによります。
当時の北海道においては、図抜けて豪華な木造建築物だったそうです。
また、厳密には番屋と鰊御殿は異なる建造物ですが、資金や建築面積の関係から、折衷型の物もあります。
本来は同じ敷地内に、主人家族と女中などの奉公人のみ居住する建物があり、ヤン衆と呼ばれる漁の季節のみ従事する労働者も鰊御殿に入れられましたが、主人家族とは別棟に泊まるのが常でした。


そんな鰊御殿の中で現在も残っている建物が、いくつか一般公開されています。
今回はその中の1つ、最大級の豪華さを持つ鰊御殿「旧青山別邸」についてご紹介します。
元々この場所には、別邸と貴賓館の2つの建物が隣り合って建っていたのですが、現在は複合して貴賓館として扱われているようです。
今回紹介するのは、そのうちの別邸のほうです。

青山嘉左衛門家中興の祖、青山留吉は、1836(天保7)年に父嘉左衛門の第6子として、飽海郡遊佐郷青塚村(現在の山形県遊佐町比子字青塚)に生まれました。
家は貧しく、幼少の頃は、父の漁業や母の酒田への行商を手伝っていましたが、18歳で羽後国由利郡(現在の秋田県由利郡)に養子に出されました。

青山留吉

しかし旧慣を重んじる家風は留吉には合わず、家に戻り、1859(安政6)年の冬、24歳の時に北海道の漁場に1人で渡りました。
最初は、後志国高島郡祝津村(現在の小樽市祝津)の寺田九兵エのもとで雇漁夫として働きましたが、約1年後に小規模ながら同地にて漁場を開くに至りました。
そして明治期の積丹半島を中心に漁場を次々と拡大し、青山家はやがて漁場15ヶ統余り、漁船130隻、使用人300余を擁する道内有数の漁業家に成長したのです。

青山家のニシン漁では、1914(大正3)年頃には1万石(7500t)以上もの水揚げがあったそうです。
この数字は、現在の価格に置き換えると約25億円になります。

一方で、故郷の青塚に明治中期に元大組頭渡部家の土地を入手し、まず本邸を建設しました。
後には田地250町余りを所有する大地主となり、一時は村税の8割を納めていたといいます。
とんでもない高額納税者です。

漁業一筋48年、1908(明治41)年、留吉は73歳の時に北海道の漁場を養子の政吉に譲り、青塚に隠居しました。
晩年は青塚や酒田で過ごしましたが、1916(大正5)年4月19日、山形と北海道の両青山家の隆盛を見守りながら、安らかに81歳の波乱万丈の生涯を閉じたのでした。

そして次に、青山家最盛期の1917(大正6)年、二代目政吉が娘夫婦の民治・政恵と共に、別邸の建設にとりかかりました。

当時、ニシン大尽と呼ばれた政吉は、美意識が高く、一流好みでした。
そのため、本邸とは違う芸術的な建築物を目指し、約6年半の歳月を要して完成させました。

三代目政恵は17歳の時、山形県酒田市の本間家邸宅に幾度となく招かれ、その豪勢な建物に魅せられていました。
当時、本間家は「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と言われる程の日本一の大地主でした。

本間家邸宅

父政吉が別荘の建築にとりかかった時に、政恵は「あの本間邸以上のものをこの祝津に建ててやろう」と決心したのでした。 

旧青山別邸の建築費は31万円でした。
当時、新宿の有名デパートの建築費が50万円ほどですから、この別荘の豪邸ぶりがおわかりいただけると思います。

新宿のデパート例

政吉は、山形県酒田から宮大工の棟梁斎藤子之助、石垣清治郎、土門市太郎を呼び寄せました。
彼らの指揮の下、左官頭 佐藤朝吉、建具頭 西野岩吉、瓦師頭 新家長松、石工頭 福田喜太郎、佐藤丑太郎をはじめ、総勢五十数名の職人たちが技を競い合いました。

屋敷の全体像は、約1500坪の敷地内に木造2階建てで、建坪は190坪。
家屋の中は6畳~15畳の部屋が18室。
それぞれに趣が異なり、金に糸目をつけず建てられた豪邸です。

外観

間取り

客用大玄関の正面奥の襖絵は、川合玉堂の弟子、山内多門思案の力作。
力強く、客用玄関にふさわしい縁起ものの黒松を用いて 、繁栄と力を表したそうです。

襖絵

大玄関から入ってすぐ右手の洋間はモダンで、上品な洋間の造りは当時では画期的なものでした。
そのこだわりは、窓の桟やガラスなど細部にいたるまでの心のいれようです。
一間だけ洋間を作るというのが、当時の風流だったそうです。

洋間

大玄関を奥に進むと、島崎柳鴻(しまざきりゅうう)の水墨画「八仙人」が13枚の襖に描かれた「八仙人の間」があります。
八仙人とは、中国開元・天宝の頃の人間ばなれした賢人の意です。
中国八仙人の優雅さが、温雅な心と円熟した技とで、素朴な幸福感を漂わせながらも、13枚の襖絵の中に生気と情感を見事に盛り込まれて描かれています。
また、天井の幅広の神代杉や杉の組子の欄間が、春慶塗の柱と見事に調和がとれています。

八仙人の間

離れにあるタモ材でできた階段は、孔雀や蝶が羽を広げた模様を木目で表現したといいます。
棟梁斉藤子之助苦心の作です。
タモ材は、この建物に使われている唯一北海道の木材です。
その“こぶ”の部分だけが使われており、23石(1石約750kg)の材料を集めて、ようやく完成しました。
1段作成するのに1週間という長い工程を要し、また、上に行くほど段差が少なくなっているという繊細な段差になっています。
タモ材の木目を使って仕上げたこれほど見事な作品は、現在では他に類を見ず、旧青山別邸にあってその美しさを象徴する作品のひとつです。

タモ材の階段

重厚な造りの屋敷ですが、その中でも開放感を演出するように、吹き抜けの天井が設計されています。

吹き抜け天井

他にもさまざまな創意工夫が最高峰の職人たちによって施されているのですが、数が多すぎて紹介しきれません。

屋敷の材料は、酒田よりケヤキを大量に運ばせたそうです。
屋根は、積雪の多い北海道では珍しい瓦葺き屋根で、軒下はすべて手彫りによる彫刻が施されています。
母屋の床や柱はケヤキの春慶塗り。
天井には、紀元前に山形県の鳥海山が大噴火をおこした時に埋もれたものを掘り起こした幅広の神代杉が使われています。
うぐいす張りの廊下には、端から端まで継ぎ目のない一本物の長押し。
北前船を使って運ばせた、紫檀、黒檀、タガヤサン、白檀を使った書院づくりの床の間。
ふすまの引き手は、当時は宝石と同価値とされていた七宝焼が使われ、欄間には、竹、紫檀、白檀に彫刻が施されています。
狩野派の流れを汲む日本画の絵師たちが競って描いたふすま絵、書も見事なものです。
また、生活空間もやはり芸術的に作られています。
浴室の天井板は、しずくが直接身体に落ちない様、1枚の板を蒸し、曲げてあり、形状だけではなく配色も斬新です。
トイレの便器や足置きには、美しい有田焼が使われています。

黒木欽堂の間

牡丹の間

比田井天来の間

離れ2階の廊下からは日本海が一望できます。

離れ2階の廊下

また、建物の三方に庭があり、家族だけが見るために造った池泉庭、松と石を組み合わせた趣深い枯山水の中庭など、数えるときりがありません。

 

このように、旧青山別邸は非常に大きな建物で、見どころもとても多くなっています。
見学の際はかなり時間を要しますのでご注意を。

また、現在はコロナの関係で閉鎖されている可能性もありますので、見学に行くときは事前に問い合わせをしたほうが良さそうです。

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