中村家住宅

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沖縄本島の中部地区にある北中城村(きたなかぐすくそん)に『中村家住宅』という民家建築があります。

この住宅は、戦前の沖縄の住居建築の特色を全て備えている建物です。

北中城村 地図

沖縄本島内で、このように戦前の建物の屋敷構えがそっくり残っている例は極めて珍しく、当時の上層農家の生活を知る上で、とても貴重な遺構です。

というのも、沖縄は第二次世界大戦でも戦火が非常に激しかった場所で、こういった民家などはほぼ消失してしまったからです。

この『中村家住宅』は奇跡的にその戦火を逃れ、1972(昭和47)年に国指定重要文化財となりました。

沖縄戦

沖縄といえば、今や年間約1000万もの人が訪れる国内屈指の観光地です。

透き通った青い海、雄大な自然の景観、琉球王国時代の旧跡や第二次世界大戦の戦跡など、訪れてみたい場所は数多くありますが、優れた建築にも注目です。

独自の長い歴史を持ち、亜熱帯に属する沖縄は、日本の文化と風土の多様性を改めて教えてくれる名建築や歴史的遺産の宝庫でもあるのです。

沖縄の海

沖縄は、日本の最南西端に位置し、東西1000km南北400kmの広い海域に浮かぶ360もの亜熱帯の島々からなる県です。

現在は日本に統合されていますが、明治時代以前は、沖縄は日本でありませんでした。

ここにはかつて、その地理的優位性を生かして、中国や朝鮮、東南アジア、そして日本とも交易し栄華を誇っていた独立国「琉球王国」がありました。

日本が東南アジア、東アジア、南アジアと交易する際の玄関口のような存在であるため忘れがちですが、元々は別の国だったのです。

諸外国と交流し、島国の気候風土の中で育まれたのが、琉球伝統文化であり琉球建築です。

だからでしょうか、長く鎖国し国内で洗練されてきた日本本土の伝統文化とは異なり、沖縄の事物には、どこか異国情緒が感じられます。

 

実際に沖縄に行くと、どこかのんびりした、いわゆる日本人的な感覚とは微妙に異なる感覚が一般的かと思います。

同じ日本の中の一県であるのに、気候、植物、料理、音楽、そして街や建物など、あらゆるものが本土と違います。

そして、「琉球文化・建築」の存在を強く感じます。

沖縄異国情緒

しかし、実はこの「日本とはなにか違うな」という日本本土人の感覚のほうが特殊であって、本来、沖縄の感覚のほうが普通ということはご存じでしょうか?

日本本土が長らく鎖国し、閉鎖状態にあった時でも、琉球王国は常に諸外国と交流を続けていました。

つまり、沖縄は一言でいえば「インターナショナル」。

ガジュマルの木やゴーヤなどは東南アジアやインドのどこにでもありますし、現在の沖縄は日本にとって世界への窓口です。

沖縄は、生物や文化など様々な面において、昨今問われている多様性(diversity)そのものなのです。

ガジュマルの木

琉球・沖縄の長い歴史を振り返ると、栄華を誇った琉球王国の伝統文化だけでなく、中国に形式的に臣従する冊封体制の影響や、薩摩の琉球侵攻(1609(慶長14)年)、明治政府による琉球処分(1879(明治12)年)、沖縄戦(1945(昭和20)年)、日本復帰(1972(昭和47)年)などの大きな事件があり、それらの外圧に翻弄され続けた地域であったことも忘れてはいけません。

このような地域で、元々は日本以外の国との交流も非常に盛んな国だったのですから、当然、こちらのほうがグローバルスタンダードに近い感覚ということになります。

つまり、、、
多くの日本人が感じる「沖縄や沖縄の人ってどこかのんびりしてていいよねー」みたいな感覚は、世界ではむしろ超少数派ということです。

世界基準だと、沖縄の感覚が普通です。

いいも悪いもなく、それが当たり前で普通なのです。

沖縄県那覇市を中心とした世界地図を見てみると非常にわかりやすいのですが、那覇は、東京よりも台湾や東南アジアのほうが距離的に近いです。

沖縄中心の地図

どのような国でも、どのような地域でも、街や建築は、単に建設技術や流行のデザインから生まれるものではありません。

沖縄も例外ではなく、街や建築が、地域の気候風土や時代の政治経済、伝統文化の総合的な産物であることがよくわかります。

 

さて、今回ご紹介する『中村家住宅』は、今から約500年前に「賀氏(がうじ)」によって作られたと伝えられています。

中村家の祖先に当たる賀氏は豪農で、琉球王国の官人である護佐丸(ごさまる)が首里王府の命に従い1440(永享12)年に読谷(よみたん・本島中部)から中城(なかぐすく)城に城を移した時に、その師匠として共にこの地に移り、近くに居を構えたそうです。

護佐丸が勝連城主である阿麻和利(あまわり)に滅ぼされた後は不遇の時代が続きましたが、1720(享保5)年頃には地頭代(本土でいうところの庄屋)に任ぜられるまでになりました。

現在の屋敷は、主屋(ウフヤ(母屋)・トゥングワ(台所))、アシャギ(離れ座敷)、高倉(籾倉)、フール(豚小屋兼便所)、メーヌヤー(前の屋・家畜小屋兼納屋)、ヒンプン(目隠し塀)、カー(井戸)で構成されています。

屋敷の南に配置されているヒンプンは目隠しの役目をしていて、外側から見ると屋根しか見えないようになっています。

ヒンプンは中国の「屏風門」の様式が伝わったとされ、魔除けの意味もあります。

ヒンプン(目隠し塀)

入口の石積みをよく見ると、石積みの高さや階段の角度が左右非対称なことに気がつきます。

これは当時、中国の風水美を意図して作られていたためで、決して建築技術が低く、対称に作ることができなかった訳ではありません。

中村家住宅にはこうした非対称を意識して作られたところがいくつかあります。

非対称の石積み

ヒンプンを抜けると中庭があり、屋敷の南東にあたる右手にアシャギ、左手に高倉、そして正面に主屋があります。

アシャギは、首里の役人が地方巡視に来た際に、宿泊所として使われました。

アシャギ(離れ座敷)

高倉(籾倉)

主屋は18世紀中頃の建築とされ、鎌倉・室町の日本建築の様式が取り入れられているとされますが、随所に独自の手法が加えられています。

木材にはイヌマキやモッコクが使用されています。

これらの樹種は高級木材とされており、一般の使用は禁じられていたそうです。

ウフヤは右から、客間として利用された一番座、仏壇のある二番座、現代でいうところの居間にあたる三番座が並んでいます。

各部屋の奥には寝室などに使われた裏座が各一間ずつあり、トゥングワ(台所)は建物の一番左端にあります。

また、屋根はアマハジ(雨端)という、屋根が庇のように出張った構造になっています。

これは強い日差しと雨を避けるためのものです。

ウフヤ(母屋)

トゥングワ(台所)

ウフヤの屋根は反りが入っていますが、これは中国からの影響を受けたものです。

一方、アシャギは、直線的な屋根の形をしています。

こうした違いから、約300年もの時を超え、室町時代の日本建築と中国建築の様式を併せ持つ貴重な建築家屋として代々大切に受け継がれてきたことがわかります。

 

屋根の上には魔除けのシーサーが鎮座しています。

瓦は赤瓦が使用されており、漆喰でしっかりと固められています。

シーサーの隣には、イーチミーと呼ばれる換気口が開けられ、風の通り道となって熱を逃がし、屋内が涼しくなるよう工夫されていました。

なお、明治以前は竹瓦が葺かれていました。

これは、琉球王国の時代には、瓦は士族階級以上しか認められていなかったためで、農民階級である中村家が瓦を用いるのを認められたのは、明治も中頃になってからです。

シーサー

屋敷の西側に作られたメーヌヤーでは、牛や豚、ヤギなどが飼われていました。

風水的に一番嫌われる北西の場所にあるフールは、豚小屋であり便所も兼ねていました。

メーヌヤー(前の屋・家畜小屋兼納屋)

フール(豚小屋兼便所)

カー(井戸)

屋敷の周囲は、フクギと石垣で囲まれています。

琉球石灰岩で出来た石垣や防風林としてのフクギ、漆喰で塗り固められた重い瓦は、いずれも台風に備えるための工夫です。

 

中村家住宅には地域性や時代背景などが色濃く反映されています。

沖縄戦の戦禍を免れた貴重な家屋であることから、沖縄がアメリカ合衆国から日本に返還された当日の1972(昭和47)年5月15日に、主屋、アシャギ、高倉、メーヌヤー、フールが、沖縄本島の民家では初めて、国の重要文化財に指定されました。

なお、返還以前の1956(昭和31)年には、琉球政府から重要文化財の指定がなされています。

沖縄本土で戦前のままの姿で残っている民家は非常に珍しく、その歴史なども含め、一見の価値ありかと思います。

沖縄に訪れた際には、こちらにも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

 

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